つつのんの気まぐれ日記

アラカン女子の複雑怪奇な頭の中を書いていきます。

散歩をして日頃何も考えない私がこんなにも脳を働かせたある日のこと

一か月前から健康のために歩くようになった。

 

もともと、運動不足は感じていた。かと言って、高いお金を払ってジムに通う気にもなれない。近所でやってるママさんバレーは新人が入らず高齢化してるので、イケるんじゃないかとも思ったが、さすがに50代後半で初心者は無謀すぎるだろ?やりたくても、チーム制の競技スポーツはどうしても年齢がネックになる。 

 

歩くことのいい点は、誰でも一人ですぐに始められることだ。誰かと競うわけでもないから、勝ち負けもなければ、上手下手もない。

 

見晴らしのいい散歩コースでもあればいいが、さすがにうちの近所にはそういったものはない。面白くもない密集した住宅の周りを歩くことになる。だがこれが意外と面白い。日によって、道順を変えるのだが、毎回迷子になる。

  

ほんとは、朝がいいのだが、どうしても休みの日はダラダラと時間が過ぎて、いつの間にか今日も15時が過ぎたころ、歩かねば!と思い立った。 

 

時間が時間なだけに、帰宅中の小学生とすれ違う。かわいい子共達だ、ランドセルをしょってじゃれてる姿は何とも微笑ましい。見ているだけで心が和む。

だが、子供達がマスクをしてトボトボと歩く私を見ても心が和むことはないだろう。

 

ふとあることを思い出した。小学校1年か2年の時だ。学校の帰り道に石垣から今にもこぼれ落ちそうな柿の木のある家があった。真っ赤に熟れた柿を私たちは物欲しそうに眺めていたのだろう。ある日、その柿をカラスがつついていた。一緒にいた友人が「だめーだめーだめー」だったのか「あっちいけ!」っだったかはよく覚えていないが、何やら叫びだした。カラスはすぐに逃げていったが、そこのおじさんが玄関から出てきて、柿の木を見上げている私たちを見て、「柿食いてーか?」と。コクンとうなづく友達と私。袋に何個も詰めて持たせてくれたっけ。その後もおじさんは何度も私と友達に声をかけては柿をくれるようになった。いいおじさんだったな~。

 

私にだって、大人が目を細め柿を無償でくれたくなるほどかわいい時代があったのだ。

 

今の私に、ただで何かをくれる人がいるだろうか?

 

そんなどうでもいいことを考えていると、ねばっと した汗がオデコにじんできた。ハンカチを忘れたのを思い出した。初心者ウォーキングウーマンはこれだからいけない。マスクをそっとずらして汗を拭いた。

 

トボトボと行き当たりばったりに歩いていると、いつの間にか40分ほどが経っていた。だんだん子供達の姿は見えなくなり、年寄りの姿がぽつりぽつりと増えだした。ある80代ぐらいのご老人が、大型犬を連れている。犬に引きずられるように歩いている。犬は散歩が楽しくてたまらないようだ、きっとまだ若い犬なのだろう。日本の男性の平均寿命は81歳だ。その年で犬飼って大丈夫か?犬だけが生き残ったらどうするのだ?と心配になった。

 

そのうち、路地裏に入り込むと建物が古いせいだろうか、草がしきりに伸びているからだろうか、幽霊屋敷のような美容院があった。えーこんなところに?いやーない、ない。などと問答を続けていると、ちゃんと看板が出ているではないか。うちの周辺は入りこんだ道が多く新しい家が多いが、散々歩いた先には、突然、時代に取り残された古いアパートや100年ぐらい経ってんじゃないの?というような古い屋敷が立ち並んでいた。土地の高低がやたら目立ち、坂道が多く、錆びだらけのブランコや鉄棒などのある不気味な公園などに突然たどり着いたりする。家の周辺でも知らない場所はたくさんあるもんだな。

 

そもそも「こんな美容院に来る人がいるのだろうか?」と思案にふけっていると美容院の隣の犬に吠えられた。猛犬に注意!っと張り紙がしてあった。猛犬でも犬はかわいい。撫でてやりたりところだが、噛みつかれたら痛いのでやめておいた。私は「この美容院はちゃんと採算が取れているのだろうか?ここの主はちゃんとご飯は食べれているのだろうか」と心を痛めたが、あまりに犬が吠えるので、不審者だと思われないうちにその場を去った。今時の犬は、飼いならされて大人しくなったものだと思っていたが、ここの犬はしっかりと番犬の役目を果たしているではないか。この家に泥棒が入ることはないだろう。ドアはべニアがはがれているし、取るものもなさそうだ。それでも中犬ハチ公は家を守っている。今度肉でも持ってくるか。

 

そのうち、帰り道が分からなくなり、いや、ボケではない。極度の方向音痴なのだ。だが、別に山の中ではない。何とか遠くに見える高く掲げられたドラッグストアーの看板を頼りになんとか自宅マンション前までたどり着いた。

 

中に入ろうとすると、近所の爺から手招きされた。ちょっと、コイという合図らしい。

 

知らんぷりするか?と迷ったが、素直に従った。逆恨みされると困る。相手は、元町内会の体育部長だ。数年前、町内の運動会に引っ張り出され、そう後の打ち上げで散々こき使われたことがある。この爺、町内の人間は自分の家来だと思っている節がある。

 

「もう、年が年だからちょっと手厚い医療保険に入りなおそうかと思っちょるが、どないや?」

 

なんでなれなれしく私に聞くのだ?

 

やめとけ!いまさらそんな保険に入ってどうするのだ。年寄りが、病院のベッドで生長らえるて、だれが喜ぶというのだ。薬漬けによる過度な長生きは、社会保障費を膨らませ、次の世代に負担を背負わせるだけではないか!

 

100歳まで生きるつもりか?

 

と思ったが、「そんなにいい保険なら、入られたら奥さんもご安心だと思いますよ」

と、言っておいた。どうせ他人の家のことだ、私が介護するわけではない、どうでもいい。

 

さらにどうでもいい世間話をして、やっと家のなかまでたどり着いた。

 

時計を見ると、1時間半が経過していた。

 

私は1時間半の間に、かわいらしい子供達を見て感傷に浸り遠い昔に思いをはせ、犬を連れた老人を見て犬の行く末案じ、粗末な美容院を見て立地的経済効果を考え、吠えまくる勇敢な犬に感心し、年寄りの医療保険のあり方について深く考えた。日頃何も考えない私が、こんなにも脳を働かせたのだ。

 

もしかして、散歩は体の健康だけでなく頭の活性化にもつながるのではないか?そして、なぜか気分が明るかった。

 

さてさて、体もつかれた。脳もつかれた。今日はぐっすり眠れるだろうな。