つつのんの気まぐれ日記

アラカン女子の複雑怪奇な頭の中を書いていきます。

南極物語には続きがあった!「タロ」と「ジロ」の60年目の真実

私が南極大陸と聞いて思い出すのは「タロ」と「ジロ」の犬のことだ。

 

 

タロとジロとは、一年間も、南極の極寒の地で取り残されて生き延びた二頭のカラフト犬だ。

 

私は20代の頃、高倉健さん主演の映画、南極物語を見に行った。実はその時の感動を私は覚えていない。あまりに大昔だからだ。ただ、タロとジロは生きて帰ってきたんだったよな、ぐらいしか覚えていない。でも、その名前は奇跡の犬としてよく覚えている。

 

この物語には60年という長い月日を得て、ある真実が解明した。「何だコレミステリー2時間SP」の番組で紹介されていた。非常に興味深く、感動したので誰かに伝えたくなった。

 

1956年11月、東京湾から14000キロ離れた南極へ第1次観測隊が派遣された。南極の気象や動物の生態についての調査のためだ。食料や荷物を運ぶためにはソリが必要だ。そのためにソリを運ぶ犬の存在が不可欠だった。北海道の1000頭の犬から19頭のカラフト犬が選抜された。厳しい南極の地で、屈強な犬たちはよく働いた。そのおかげで調査も順調に進んだ。隊員と犬たちの間にもきずなが芽生えていた。あるとき一頭の犬がケガをし、それを隊員が自ら靴下を脱ぎ犬の足にかぶせるなどのエピソードもあるくらいだ。、

 

1年後、任務を終えた11名の第1次観測隊員たちは第2次観測隊へと引継ぎされることとなった。だが予想だにしなかったことが起こった。2次観測隊が遅れたのだ。仕方なく、次の観測隊が来るまで昭和基地の近くに犬たちを鎖につないだ。犬たちの前には次の観測隊が来るまで、数日分の食料を置いた。上層部の指示により、メス犬と子犬を伴い1次観測隊員たちは帰国することとなる。無人の昭和基地にに残された15頭のオス犬たち・・・・・この時は一時撤退のはずだった。あくまでもはずだったのである。隊員の誰もがその時はそう思っていた。第2次観測隊がやってくる!それまで何とか持ちこたえてくれ・・・と気がかりながらも隊員たちは犬たちを後にした。

 

ここで事態は急変。あまりの悪天候のために第2次観測隊が越冬を断念。

 

結果、カラフト犬15頭はそのまま置き去りにされた。寒い日にはマイナス40度まで下がる極寒の地だ。数日分の食料はすぐに食べつくすだろう。そのあと、食料もなく生き延びるのは不可能と思えた。

 

次に第3次観測隊が派遣されたのは犬たちが置き去りにされた1年後だった。誰も、犬たちが生き延びたとは思っていない。第1次観測隊で犬係を務めた北村泰一さんも当然そう思った。せめて犬たちの供養がしたい・・・・そんな思いから、北村さんは第3次観測隊に加わり昭和基地に向かった。

 

そこで目にしたのは、2頭のタロとジロの元気な姿である。奇跡だった。

 

他の犬たちは?どうなったのだろう。捜索が続けられた。

 

首輪につながれたまま7頭は遺体で発見。残りの6頭は首輪を何とか外したようだが、行方が分からず見つけることができなかった。海に落ちたか‥‥その後も消息は分からず、生存は絶望的だった。

 

南極に連れてきた時まだ1歳だったタロとジロは南極の厳しい環境の中で生き抜くにはあまりに幼かった。それなのにこの極寒の地でなぜ生き延びることができたのか?食料はどうしたのか?ずっと謎のままであった。60年も・・・・・

 

 

2018年、第一次観測隊の犬係の北村さんが動き出した。その時に一緒に調査に協力したのが、当時新聞記者だった嘉悦博さんだ。

 

実はタロとジロの生存には第3の犬の存在があった。1968年第9次観測隊が昭和基地近くで行方不明だった6頭のうちの1頭の遺体を見つけたのだ。

 

だがその犬がどの犬なのかは分からない。その犬がどの犬かが分かればタロとジロがなぜ生き延びることができたのかが分かるのではないかと考えた。鍵は第3の犬にある!北村さんはそう、確信した。

 

当時南極には3つ場所に食料が保存されていた。

①昭和基地の中にある食料

②基地近くにある天然の冷凍庫(雪の下に埋めてた?)

③100キロ近く離れた場所の食料基地(犬ゾリの調査の時にデポに残した食料)

 

一番可能性の高い昭和基地の食料は手つかずだった。天然の冷凍庫は、犬たちには場所が分からなかったはず。可能性が考えられたのは、100キロ近く離れた食料基地だ。

100キロも離れた場所まで行けるのか?

 

当初は共食い説が浮上した。犬たちの肉を食べたのではないか?だが犬の死骸には傷がなかったこともあり、否定された。それでは南極に住むペンギンやアザラシを襲って食べたのでは?とも思われたが、そういった動物の食い荒らされた形跡もなかった。

 

やはり、遠く離れた食糧基地で食料を調達したのか?そう考えあぐねているとき、第一次観測に連れて行った犬の犬種に関する資料が見つかった。その資料には、名前、年齢、毛色、大きさなど、事細かな犬の特徴が書かれていた。北村さんの眠っていた記憶が次から次によみがえった。確か第3の犬の遺体は・・・白い、そして大きくない‥‥4頭の犬が候補に上がったが・・・・・。

 

100キロ離れた食糧庫へたどり着ける犬・・・そうだ…リキなら・・・できる!リキは犬ぞり隊を率いるリーダー犬だった。

 

リキはズバ抜けた危機回避能力、どこからも帰ってこられる方向感覚を持っていた。

 

リキは過去に失踪したことがある。だが翌日戻ってきたのを思い出したのだ。いくら犬でも、あたりは雪一面、頼れるのは感覚だけだ。こんなことをやってのけれる犬はリキに違いない。首輪を抜けたリキは自由に逃げれたはずだ。だが若いタロトとジロを見捨てられなかったのだ。リキがいなければタロとジロは飢えでとっくに死んでいただろう。リキは毎日100キロ先の食料基地までタロとジロを連れて行ってたのだろうか?生きるために。リキはそうやってタロとジロを守り続けた。やがて迎えに来る人間を待って・・・・自分たちを見捨てた人間が迎えに来る日を・・・。

 

だが、リキの命は間に合わなかった。一年が過ぎ、南極の昭和基地にやっと大3次観測隊が派遣された時・・・あの犬係の北村さんがやって来た時、そこにリキの姿はなかった。リキは観測隊の犬の中では最年長だった。リキはカラフトの平均寿命を超えていた。力尽きるまで、若いタロとジロを守ったのだ。

 

こうして、最初の南極大陸の調査から60年後、ずっと謎だったタロとジロが生き延びた理由が明らかになったのだ。

 

ざっと、まあこんな内容だった。犬って素晴らしいね。私は犬の話には弱い。ウルッときた。

 

TVを見終わった後、このタロとジロがその後どうなったのか気になって調べてみた。

何と、タロとジロは、その後しばらく南極にとどまったんだね。やっと日本に帰ったのは1961年5月だ。しかもタロだけ。4年半ぶりの帰国だった。その後も誰かに飼われたんじゃなく、北海道大学植物園で飼育されたことになっている。そして1970年老衰で没。14歳7カ月だった。大往生ではあったものの犬生としては幸せだったのかな。しかも、ジロの方は第4次越冬中の7月9日に病死していた。5歳だった。何で第3次の隊員と一緒に帰れなかったの?そうすればジロは死なずに済んだのに・・・・

 

ちょっと複雑だ。

 

60年も知られなかったリキの話は今年、「その犬の名を誰も知らない」と題して出版された。

 

南極大陸は地球上の氷の90%があるという。そしてその下に眠る岩石や砂、泥、鉱物、生物遺骸などや氷床には過去の気候変動や地殻変動の記録が残されている。氷の大陸はそれ自体が地球の温暖化を制御する役割を担っている。これらを観測し、未来を読み解き、監視していくことは私たちの未来をも守ってくれるだろう。

 

1956年、日本で最初にこの大事業に携わった第一次観測隊は重要な役割を果たしたはずだ。

 

でもこの大事業の陰には15頭の勇ましきカラフト犬がいたんだね。