つつのんの気まぐれ日記

アラカン女子の複雑怪奇な頭の中を書いていきます。

ガスの元栓、鍵の閉め忘れが気になるなら、それは強迫性障害かも!

心療内科とか精神科とかの病院の看板が最近よく目に留まる。
 
今まで、そこに看板があることさえ気づかなかったのに、なぜか車のスピードを落として見入ってしまう。そして通り過ぎて思うのだ。
 
確か、悩まずにご相談くださいと書いてなかったか?
 
いやいやいやいやいや・・・・・
 
何考えてるんだ、私は。
 
何で私が、精神科?心療内科?
 
確かに妄想癖はあるものの、心の病とは無縁だったはずだ。
 
それが、ある本を読んでからちょっと気になることが出てきた。
 
私が読んだのは、奥田英朗著のイン・ザ・プール。
 
面白いと評判の短編小説である。ネットで笑える小説として紹介されていたので、読んでみた。様々な心の悩みを抱えた患者たちがとんでもないヤブ?精神科医の元に訪れ治療とは程遠い体験をしながら、結果的に治っていくという話である。
 
確かに笑った。大いに笑った。
 
だが、私が気になったのはこの中の最後の物語だ。
 
強迫性障害(強迫神経症)にかかった男の話である。
 
強迫性障害とは自分がやった行為に対して、不安な考えが浮かび、それを打ち消そうと確認行為や無意味な行為を繰り返すという厄介な症状のことである。
 
この小説に出てくる男の主な症状は、火の不始末にたいしての過剰な不安だ。
 
たばこの灰皿から始まり、ガスの元栓、ガス漏れ、タコ足配線に電化製品全般へと対象が増えていって不安で不安でどうしようもなくなっていくのだ。
 
この病気の特徴として、「確認行為の習慣」と言うのがある。
 
突然襲ってくる不安に対して、何度も確認をせずに入られなくなるのだ。
 
ガスの元栓やコンセントなどを何度も何度も確認する。確認しても不安なので、また確認する。外出した後も気になって戻ってきては確認せずにはいられないと言いうものである。
 
小説の中の男の例でいくと、出張で新幹線に乗る前にと家のことが気になって、近所の人に電話して自分の家から煙が出てないか確認してもらったり、消防車のサイレンの音が鳴ると青ざめ、仕事中で打ち合わせしているにもかかわらず家に帰らずにはいられない。
 
ガス漏れまで気になりガスメーターを止めたり、その内漏電まで気になり始め、電気のブレーカーまで落として外出するようになる。
 
もうこうなるとまともな日常生活は送れなくなる。
 
まさに喜劇?である。
 
だが、私にはこの男の行為が笑えなかった。
 
なぜなら、いくつかのこの男の行為が私がここ数カ月でやった行動とよく似ているのだ。
 
もちろん私は、ここまでひどくない。しかもこれは小説である。フィクションなのだ。
 
もともと昔から私にはガスの元栓や電気のスイッチを何度も確認する癖があった。
 
これぐらいなら、誰でも?やるだろう?
 
今思うと、ちょっとおかしいと思い始めたのは、昨年の11月頃からだ。
 
ガスや電気のスイッチをやたらと確認する。家の鍵を閉めたかどうか、確認したことが分かっているのにさらに確認する。さらに私の場合、車のカギ閉めやライトやハザードランプの消し忘れの不安まであった。
 
車の方は、以前ハザードランプの消し忘れでバッテリーが上がったこともその一因になっていると思う。
 
あと・・・・・・

 

職場(ショッピングセンター内)のトイレで、自分が用を足した後、すぐに別の人がトイレに入ると・・・・
 
もしかしたら、異臭を放っていないだろうか?臭い女だと思われないだろうか?
 
などと、ウン○ををしたわけでもないのに、なぜか気にしてしまう。
 
しかも後に入った女がトイレから出てきて、私をチラリと見ようものなら、不安でたまらなくなる。
 
そんなに臭かったのか?
 
別に、確認して安心できるのであれば、何度でも確認すればいいと思うかもしれないが、結構これ、精神が疲弊する。
 
しかも、すぐに確認できるときはいい。いざ確認ができなくなったときにこの不安が胸いっぱいに広がっていくのだ。

一か月前は、電気ストーブのスイッチが付いたままではないか?突然浮かんでくる不安に耐えられず、車を走らせて5分ぐらいしてから立ち戻った。もちろん家に帰って確認すると、スイッチだけでなくコンセントも抜かれていた。
 
また別の日は、仕事に行く寸前に、アイロンかけた日があった。仕事場についてからが大変だった。コンセントを抜いたはずだとは思ったものの、記憶をたどっていくと、だんだん自信がなくなってきた。
 
別にアイロンは立ててあるので、仮に点けっぱなしだとしても倒れない限り、火事にまでなる可能性は低い。
 
だが、地震でも起きたらどうなるんだ?アイロンが倒れて・・・・・・
 
次から次へと不穏な映像が浮かび、いてもたってもいられなくなる。
 
私はこの時自分の携帯電話から、自宅に電話をかけた。
 
コール音が鳴ってるってことは、我が家は無事ってことよね?
 
ホッとした。
 
結局、仕事が終わって帰ってみると、コンセントは抜かれて、きちんと所定の場所に置かれていた。
 
そう、最悪の事態はめったに起こらないのである。分かってはいる。分かっているのに確認行為がやめられない。
 
自分でもかなりバカバカしいことをやっていると思う。
 
だが、私は外出前にアイロンをかけるのはきっぱりやめた。
 
この自宅に電話をかけて、コール音を聞いて家の無事を確かめるという行為は、小説の中の男もやっている。
 
ゾッとした・・・・・・・・同じではないか。
 
この強迫性障害は、別に火の不始末やカギ閉めの度を越した確認行為だけとは限らない。人によって、症状の現れ方は様々だ。
 
例えば、自分は汚いと思い、何度も手を洗ったり、洗浄、洗濯などを繰り返す不潔恐怖や、自分が誰かをつけ傷つけたり反社会的行為を行ってしまうのではないかと言う不安にさいなまれたりする加害恐怖など。他にも、何かの行為の時に必ず決められた順序で行わないといけないとか、物の位置が左右対称でないといけないとか、ある特定の数字に対する異常なこだわりとか、例をあげればきりがない。
 
重症化すると、うつ病などの他の精神疾患を併発するというから、これまた怖い。
 
日本人の発症率は、100人に1、2人程度と言われているが、実際はただ神経質なだけとやり過ごしている人もいるらしい。
 
私だって、この小説を読まなければそんな病気があることさえ知らなかった。
 
先日、私は姉にこのことを相談した。
 
ゲラゲラと笑われた。
 
コイツッ!他人事だと思いやがって!もっと親身になれ!
 
かわいい妹が悩んでるんだ、適切なアドバイスでもせんかい!
 
ふてくされていると、姉がこんなことを言った。
 
「確か、お母さんが、よくガスの元栓気にしてたよね」
 
あら、そうなの?
 
じゃあ、あたしのこの症状は遺伝的気質と言うことなのだろうか?
 
でも、姉にはこの症状は全くないと言う。
 
「大丈夫だって!気のせい気のせい!」
 
根拠のない励ましだ。
 
だがこの精神疾患の病気は、もともと科学的根拠はない。医者にかかったところで、血圧や貧血や胃潰瘍や骨折のように、数値に現れたり、レントゲンで影が映ったりするものではない。全て、医者の問診による感度で診断が下されるのだ。
 
ヤブだったらどうするんだ?患者を増やすことしか考えていない医者だったらどうするんだ?
 
病院だってビジネスだ。経営していくにはお客様が必要だ。
 
しかも精神疾患には、誤診がない?誤診を証明する証拠というのがないからね。
 
セカンドオピニオンなどの手もあるが、二人目がヤブじゃないと誰が保証してくれるのだろう。
 
それを思うと、病院などに気軽に相談するのも気が進まない。
 
しかも、医者はきっと言うだろう。
 
「焦らずに、ゆっくり治していきましょう」
 
「バカ言え!3日で治せ!」そう本音を言ったなら、人格障害の薬まで加わって、薬漬けになるかもしれない。
 
これは、医学界と製薬会社の陰謀だ。
 
もちろん世の中には、いい精神科医もたくさんいる。
 
だが、何をもっていい精神科医と言うのだろうか。精神科医は別に手術をするわけでもないし、最新の医療機器を使いこなせるというわけでもない。
 
精神科医は患者の話を聞いて、薬を出す。たまには注射もするだろう。
 
結局、患者側の感度と言うわけだ。
 
でも、ずっと病院に通い続けても治らない人もいるんだよね。
 
私の知り合いに、うつ病を患っている人がいるが、まさに、それだ。
 
「治らないのに何で通うの?」と聞いたら、
 
「その先生、とってもピアノがうまいのよ!」
 
一瞬自分が何を質問したか、記憶を失った。
 
全くわけが分からん!
 
強迫性障害の発症の原因はいまだ特定されていない。
 
うつ病にしろ、統合失調症にしろ、心の病は大概が、ストレスが原因だと言われている。
 
ひと昔前は十二指腸潰瘍ににかかるとストレスが原因だと言われていた。
 
便利な言葉だわ。ストレスって。
 
何でもはっきりとした原因が分からなければ、ストレスと言えば納得してしまうものね。
 
幸いなことに、私のこの症状は外出後3,40分で収まるため、日常生活に大きな影響を与えているとは思えない。だが、疲れる・・・・・・。
 
私も、そのうち心療内科のドアをたたく日が来るかもしれない。
 
だが、今はその時ではないような気がする。それでも、心療内科の看板は気にはなる。最後の駆け込み寺があると思えばいい。
 
しかしこのままほっとくわけにはいかない。
 
強迫性障害の治し方の一つに認知行動療法と言うのがある。
 
これは、あえて強迫観念を抱いた時に強迫行為をせずに我慢することで不安が軽くなることを体験するというものである。
 
例えば、不潔恐怖の症状を持っている人なら、汚いものを触った時何度も手を洗うと言う強迫行為を我慢すること。あえて自ら汚いものに触り、我慢するという行為を繰り返すことによって、実はそれでいいんだということに慣れていくことである。
 
私の場合は、ガスの元栓や電気のスイッチの消し忘れ、鍵の閉め忘れと言う(強迫観念)があり、それに対して、何度も確認しないと気が済まないという(強迫行為)がある。
 
要するに、強迫観念による不安を打ち消すために何度も確認したり、何かの行為を繰り返すことによって、安心しようとする行為が強迫行為である。
 
この強迫行為をやめて、不安に立ち向かうのだ。
 
もちろん、ガスの元栓や電気のスイッチなどは誰でも一度は確認してから外出されることだろう。
 
私の場合、これを何度も繰り返さないと気済まない。日によって回数が違う。しかも外出した後も不安に陥るというのが今の私の症状だ。
 
この確認行為をせめて二回に持って行きたい。もちろん、最初は、外出後の不安が増すだろう。
 
それでも、この認知行動療法は一定の効果を上げているらしいからやってみる価値はあると思う。
 
但しこれは、私と同じ症状の方にススメルものではない。
 
この認知行動療法は、精神科などで薬物療法と併用して実際にやられている治療法である。
医師の指導の下やるものなのだろう。
 
私は、まだ、「ちょっと神経質になってるだけかも」と「もしかしたら病気かも」のはざまで揺れている状態である。
 
まだ、大丈夫だ。
 
確かに、意図しないのに目に入ってくる看板の「悩まずにご相談ください」には、気がソソガレる・・・・・・・・
 
その一方で、心療内科や精神科のドアは、開けてはいけないパンドラの箱のように思えてしまうのも事実だ。
 
現代はストレス社会だ。心の病に悩む人は多い。
 
人生五十数年生きていれば、何かしらある。
 
この認知行動療法をやるにあたって、好きな饅頭をたらふく食べて、好きなだけ韓ドラを見ようと思う。家事も仕事も適度にサボろう。不安に立ち向かうのだからそれぐらいいいだろう。
 
ぐうたらしている私に、夫と娘が何か文句を言おうものなら、
 
「これは治療だ!」そう言ってやる。
 
この治療が功を奏したら、その時は報告しようと思っている。
 
もしかしたら、「心療内科の先生と二人三脚の治療日記」のタイトルになっているかもしれないが・・・・・・。
 
今はただ、そうならないことを祈るのみだ。