つつのんの気まぐれ日記

アラカン女子の複雑怪奇な頭の中を書いていきます。

腰痛に苦しむ友人を見て思った、クヨクヨ悩めるって実はメンタルが強いって話。

私の若い頃は、胃潰瘍とか、十二指腸潰瘍と言えば、ストレスが原因とされた。

 

最近はこれが、腰に来るらしい。

 

と聞いたのは、強烈な腰痛に悩んでいるSさんからだ。彼女はもともと事故の後遺症があった。その後遺症が腰のズレなんだそうだ。だが、何年も病院に通っているのに一向に改善しない。これだけ治療とリハビリをやっているのになぜ治らないのか!と、ある時、主治医を問い詰めたところストレスだと言われたらしい。

 

主治医は、Sさんの剣幕にたじたじしながらさらに言った。

 

「あなたの腰の痛みは事故の後遺症ではありませんよ」

 

えええええええええええええええええええー?今頃言う?

 

確かに、画像診断で見るとSさんの腰のズレは治ってるらしい。だが、痛み止めは1錠から3錠に増えていた。

 

鎮痛剤って、そんなに飲んでも大丈夫なのか?

 

「仕事するには仕方ないです」

 

そうなんだ、痛けりゃ仕事どころじゃないもんな。

 

ストレスは、もともとその人の身体の一番弱いところを攻撃するらしいが、最近では生活様式が変わったせいか、腰に来る人が多いらしい。

40代から60代の腰痛持ちは、実に2800万人で国民の約4割に当たる。

今の生活って、家事も仕事も機械化されて、運動不足で生活の中で腰を鍛える場面は少ない。みんな腰が弱くなってるんだな。

トイレなんて、洋式に代わってしゃがむこともなくなった。しゃがむって、骨盤底筋を鍛えるんだよ。骨盤底筋て何だ?と思うが簡単に言うと内臓をしっかり支えてくれる筋肉だ。これを鍛えると、尿漏れ対策や腰痛の予防になると言われている。

昔のヤンキーやなんかしゃがんでタバコ吸ってるイメージが強いが、今時そんなヤンキもいなくなった。だから中高生でも腰痛持ちがいるんだな。なんて極論は述べないが、10代の腰痛は、最近では珍しくなくなった。

 

今や、腰痛は子供から大人までなる国民病だ。

 

で、Sさんが腰痛は症状であって、病名ではないと言う。主治医の受け売りだ。

 

確かにな、頭痛にしろ腹痛にしろ症状ではあるが、病名ではない。でもそれが腰痛と聞くと何だか病名のように思えるから不思議だ、

 

腰痛も、3カ月以上になると慢性化する。治ったりまたひどくなったりと、何度も繰り返す人もいる。それらの多くがレントゲンや、MRL、血液検査など画像診断に異常がない人たちだ。

 

腰が痛いと言っても死ぬわけじゃない。たかが腰痛じゃないかと、つい軽く考えてしまうが、腰の痛みが進むとそれは大病に匹敵するほどの痛みを身体に与える。

 

Sさんの場合、強烈な痛みがあり、調子が悪いときは終日エビのように寝転がっていることしかできないほどひどかった。

 

私がエビのようになったのは、生涯で(まだ生涯終わってないが)1度だけだ。食べ過ぎて胃けいれんを起こしたことがある。なぜか一日で終わった。私はあの時の痛みを思い出すと、今でも冷や汗が出る。それほど苦しい体験だった。私は痛みに弱い。足の小指をちょっとケガしただけでもぎゃあぎゃあと、周りに聞こえるようにうるさくわめくタイプだ。痛いもんは痛い。

 

「よく母に我慢強いと言われたんですよね。それだけは褒めてくれました」

 

と、Sさんは言う。私とは大違いだ。

 

彼女はこれまで幾度となく入院している。彼女がこれまでどんな病気をしてきたのか上の空で聞いていたのでよく覚えていない。いや、実は病名も聞いたことがあるにはあるが、名前が長すぎて忘れた。その歴史は、聞くも涙、Sさんは身体の痛みと戦ってきた人である。

 

だが、そんなことみじんも思わせない明るさだ。この明るい人に、強烈な腰痛に苦しむほどのどんなストレスがあるんだろうか。

 

想像もつかない。

 

でも、今時誰にでもストレスはあるんだろうな。

 

そう、誰にでもあるのだ。私だってストレスまみれだ。

 

ただ不思議に思うのは、その心理的ストレスをSさんのように腰痛などの痛みにすり替えてしまう人たちがいるということ。(別に腰とは限らない)

 

いわゆる心理的ストレスの「身体化」だ。

 

私の場合は、ほとんど「身体化」まではいかない。心で受けたストレスは心だけで受け止めている。そういうとカッコいいが、実は私はクヨクヨ人間なのだ。人が気にも留めないような小さなことで悩み抜く。やたら気が小さいのだ。器が小さいとも言える。

 

先日も、病院からの着信履歴を見た途端不安が押し寄せてきた。血液検査をした翌日のことだ。薬を処方してもらうための念のための血液検査だった。もしかしたら、数値に異常が見られ、即刻大学病院での再診を勧めらえるのではないだろうか、私は一つの考えが浮かぶと、だんだんそれが現実に違いないと思えてきて、いてもたってもいられなくなるのだ。だって、普通病院から電話なんてないだろ?次行くのは一週間後でいいと言われていたのに、なぜ電話までしてくる?

 

着信履歴に気づいたのがが夜の7時、不安でたまらない。慌ててすぐに電話をするが、

 

「本日の診療は終了しました」

 

血も涙もない声だ。そりゃそうだろうな、機械の音声だからな。

 

翌朝病院に電話がつながるのが朝の9時だ。14時間はある。あまりの時間の長さに気が遠くなりそうになった。もしも再診でとんでもない病気を宣告されたら・・・・・次から次にイヤな考えが浮かぶ。

今宵は眠れぬかもしれない。長い夜をどうやって気を紛らわそうか?ラーメンでも食べるか?予想に反して布団に入るとすぐに眠くなった。朝までしっかり寝た。私は心配や不安が身体に影響を及ぼさないのだ。

 

私は翌朝9時ジャストに病院に電話をした。電話をもらったことを告げると、

 

「ちょっとお待ちください」

 

散々待たされた。さざ波のように不安が胃の中心部を覆った。

 

「お待たせしました、すいません、つつのんさんお電話までいただて・・・・」

 

なぜか若い女性は恐縮していた。そんなに言いにくいことなのか?

 

 やはり再検査か?私はこの大学病院の検査というのが大嫌いだ。健康診断で胃の検査をしたところ、レントゲンに影が映っていた。再検査に行ったが、その時、散々な目(長くなるので省く)にあったのがトラウマになっている。結果は異状なし。

 

私は、受話器を強く握りしめた。

 

「実は…‥先日診療費を30円多くいただきまして・・・・・」

 

は?今何と?

 

調子ぬけした、と同時にそんなことで電話してくんなよ・・・・・あああ

アホらしくなった。私は取り越し苦労が多い。よく勘違いで不安を抱える。

 

私は、この話をどんなに自分が不安にさいなまれたのかを友人に語って聞かせたが、その病院が皮膚科だったことはさすがに言わなかった。私の不安は、大概の人には理解できないだろうからだ。

 

私はこの気の小ささゆえに常に大きなストレスを抱えているともいえるが、胃に穴が開いたり、腰が痛くなったり、腸がやられることもない。

 

でも、世の中には心理的ストレスをクヨクヨ悩まずに身体で表現しようとする人たちがいる。

 

そりゃ、ストレスとウツなら何となく仲良しなのは分かる。

 

でも、Sさんはストレスによって強烈な腰の痛みをこしらえたのだ。ストレスと腰ってどうやって結びつくのだ?

ストレスと腰ってなかなか結ばれない遠距離恋愛みたいなもんだろ?ゴールする前に別れるだろ、普通。

 

ずい分以前のことになるが、娘が中学の時、同級生にリストカットをする女の子がいた。カッターで死なない程度に手首を切り刻むのだ。当時その話を娘から聞いた時、なんでそんな痛いことを自らするのかさっぱりわからなかった。

 

でも、脳のメカニズムが分かってくると何となく当時の娘の同級生が体の痛みによって、心を救っていたのが理解できる。

 

こういった自傷行為によって、彼女は大脳にエンドルフィンを発生させ、その鎮痛効果によって心の痛みを和らげ安心と喜びを得ていたのだ。オピオイド物質の一種であるエンドルフィンにはモルヒネと似た鎮痛効果があり、心が元気になれるのだ。

 

人間の脳とは不思議なものである。体に痛みを感じると人によっては大量のドーパミンという神経伝達物質が出る。そしてさらにベーターエンドルフィンが放出され、鎮痛効果や幸福感、気分の高揚などが得られ、最後にセロトニンが思いっきり出るというのだ。

 

ランナーズハイも同じ仕組みだ。苦しみの限界で突如として訪れる高揚感は脳のメカニズムである神経伝達物質の放出によるものである

 

神経伝達物質は別名脳内ホルモンとも呼ばれ、今のところ60種類以上が発見されている。今だ分かっていないことも多々あるが、その役割は私たちの幸福感と深くかかわっている。

 

セロトニン、エンドルフィン、ドーパミン、ノンアドレナリンなどあなたも聞いたことあるだろ?

 

専門家じゃないからその仕組みについてはわからないが、これら脳内の神経伝達物質の連携プレーによって私たちは幸福感を得ることができるのだ。

 

私たちは、日常の中で笑ったり、楽しいこと気分が良くなることをすることによって幸福感とつながっている神経伝達物質(脳内ホルモン)を出すことができる。だが、長期的にストレスを抱えてしまうとこれらがうまく機能しなくなる。

 

そうなると、溺れて窒息しそうな心がワラでもつかむように脳に指令を送るようになる。

「どんな手を使ってもいいから、安心感を求めなさい!」

 

その結果、病気という手段を使って自ら痛みをこしらえる選択をしてしまうのだ。だって身体に痛みを与えることによっても神経伝達物質(脳内ホルモン)を発生させ不安、悲しみ、苦しみ、嘆き、欠乏感、喪失感、孤独感、恐れなどを和らげることができるからだ。

 

それが心理的ストレスによって腰痛が発生する仕組みなんだろう。まっ、腰痛とは限らないが、原因のない痛みや病気などはほとんど心の痛みのすり替えだ。

 

では、私のようにしょっちゅうクヨクヨ悩んでいる人間がなぜストレスの「身体化」をしないのか?もちろん、そういう人の方が多い。ストレスは心で受け止めるもんだ。

 

腰痛に苦しむSさんは弱音を吐かないタイプである。むしろ嫌なことがあっても

「気にしない、気にしない!」 

と、やり過ごす人だ。明るい人なのだ。正義感も強いし優しい。

 

何事も気にしないでやり過ごせればそれが一番いいとも確かに思う。でもね、気になったことを気にしなかったことにはできないよな。

 

今のご時世、腹の立つこと、うまくいかないこと、悩むことはいっぱいある。

 

sさんのようにストレスを痛みに変えてしまう人、そこまではいかなくても、不眠に悩んだり、食欲がなかったり、ストレス太りをしたり、友達とうまくいかず学校に行く前にお腹が痛くなったり、お母さんの気を引こうとしょっちゅう熱を出す子供。

 

ストレスの表現の仕方は人によって様々である。

 

私のように、くだらないことで人知れずクヨクヨ悩む人間もいる。

 

もしかしたら、クヨクヨできる人間って、メンタル強いんじゃないか?だって、真摯にストレスにしっかりと向き合っているのだから。これって強い人間にしかできないことではないか?

 

実は私、人からよく「性格が、サバサバしてるよね」と言われる。

 

もちろん誤った見解だ。

 

私は自分の肝の小ささを熟知している。

 

くだらない小さなことで悩むが、大きなことになるとすぐに白旗を上げる。

開き直るのだ。

 

こんな心境になれるのは、日ごろから私がクヨクヨ悩む小さな人間だからだ。

 

小さい人間は大きくて強力なものとは戦わないのだ。弱虫には弱虫の掟がある。

 

無抵抗!

 

「無理無理!どうとでもなれ!矢でも鉄砲でも持ってこい!」

 

 それが逆に人からサバサバしてると誤解を受ける理由だろう。

 

Sさんは我慢強い人であるが、何事も我慢強い人は精神が強いと思われがちだが、それって本当だろうか?

 

昔の人は我慢強さを美徳と考えたようだが、もともと、我慢ってしなきゃいけないものだろうか。人間なんだから、泣き言行ったり、愚痴言ったり、やりたくないことから逃げるのもいいんじゃないか。

 

赤ちゃんなんて、好き勝手に泣きわめくが、大の大人がオロオロするだろ?どうかするとお母さんをノイローゼまで追い込むんだからな。最強じゃん。

 

案外世の中の常識って逆かもしれないと思うことがある。

 

クヨクヨ悩めるって、実はメンタルが強い!

 

まんざら嘘ではないと思う。

 

ストレスは外部からやってくる敵みたいなもんだが、身体に助けを求めず、心ひとつで外敵にに向き合うのだ。これは強くないとできない。心が頑丈でないとできないのだ。

 

これって無きにしもあらず!だろ?