つつのんの気まぐれ日記

アラカン女子の複雑怪奇な頭の中を書いていきます。

可もなく不可もない人生ってもしかしたら自分で選んだのかもしれないな。

 世の中には何でも持っている人がいる。お金、キャリア、素敵な旦那様、一流大学に通う出来のいい優しい子供、裕福な親など。こういう人を見ると運がいいよねと思ったりする。

 

幸い?私の周りには何でも持ってる人はいない。類は友を呼ぶで、たいがい同じような暮らしの人ばかりである。同じマンションに住む住人も似たり寄ったりの生活だろう。 

 

別に不幸ではないが、十分か?と言われれば果てしなく疑問である。

 

浅瀬で小さな波に揺られることはあるが、大波に飲み込まれて流されるということもない。いたって平凡だ。

 

「運命占星学では平穏無事な一生、可もなく不可もない人生が最高運」だそうだ。

 

和泉宗章氏の言葉である。最初これを聞いた時、心躍った。

 

可もなく不可もなく・・・・それって私じゃん!これって最高運なの?

 

「〇〇さんのご主人てどんな人?」

 

「可もなく不可もなくだよ」

 

と答えたら、きっとたいがいの人はつまんない男なんだなと思うだろうな。

 

可もなく不可もなくってあまりいい意味では使われないよね。

 

冷静に考えると躍った心がしぼんだ。

 

※和泉宗章氏は1979年、「当時のジャイアンツの長嶋監督は日本一になれない」と発言し天中殺ブームを巻き起こした占い師である。週刊誌にも取り上げられ、「天中殺入門」「占星学入門」は300万部のベストセラーとなった。にもかかわらず、「1980年2月までに長嶋監督が辞任する(実際はリーグ終了後辞任)」とした占いが大外れ。ご自分の占いに見切りをつけ易者業から退かれている。何とも短い・・・・ひのき舞台だった。

 

誰だって、自分の運命に興味がない人はいないだろう。雑誌の星占いでいいことが書いてあるとちょっとうれしくなったりする。

 

1週間ほど前だと思う。晩御飯を食べるとき、たまたまTVをつけると、ある番組にくぎ付けになった。ワールド極限ミステリーspである。この番組は世界中で実際に起こった事件を衝撃映像とともドラマチック紹介している。ご覧になった方も多いかと思う。

 

この番組はいくつかの題材があるのだが私が見たのは1986年1月28日に起きた米スペースシャトル「チャレンジャー号」を取り上げたものだった。

 

この日は異常に寒い朝を迎えた。チャレンジャー号は観衆の見守る中、打ち上げからわずか73秒後に爆音とともに機体は分解し7人の乗組員は全員帰らぬ人となった。

 

事故の原因は、機体の接続部分に使用されるOリングと言われる部品の欠陥だった。低温によるOリングの硬化により弾性が失われガス漏れを招き爆発したのだ。

 

何とも悲しい出来事であるが、こういう時に現れるのがヒーローである。もともと、チャレンジャー号の製造元の技術者であったロジャーボイジョリ―は低温による爆破の可能性を予見していた。その技術者が、打ち上げ中止を訴えたが思いは届かなかった。人命よりも打上げのスケジュールの方が優先されたのだ。さらに彼は爆破後も責任を逃れようと証拠を隠蔽しようとした組織の上層部そしてNASAとたった一人で戦い真実を暴いたのだ。TVなんで脚色もあっただろう、なんともドラマチックに仕上げられていた。

 

ちょっと感動した。でもそれよりも私が興味を持ったのは別の人物のことである。

 

クリスタ・マコーリフはチャレンジャー号乗組員7人の中の1人である。彼女が他の乗組員と違っていたのは初の民間人であったこと。彼女は、ニューハンプシャー州コンコードの教師で、11000人の中からNASAに選ばれた初の民間人宇宙飛行士(資格は宇宙飛行関係者)であった。彼女のミッション一つは宇宙授業をすること。

彼女は、チャレンジャ号が打ち上げられた時、夢の実現に打ち震えたのではないだろうか。だがそのわずか73秒後、その夢ははかなく砕け散った。彼女はNASAの軌道上からついぞ子供たちとコミニケーションをとることはできなかった。彼女は誰もが想像しなかった場所へ旅立ったのだ。6歳と9歳の子供を残して。

 

何とも悲運である。

 

NASAが打上げのスケジュールにこだわらず、人命を優先していたら救うことができたはずの命である。もしもその日気温が高ければ、起こらなかった事故でもある。

 

これは彼女の運命だったのか?

 

私たちの人生には努力すべきとか正義は為されるべきとか、人間の思惑とは全く関係なく抗いようのない力が存在する。

 

私には子供の頃よく一緒に遊んだ6歳年下の従姉妹がいる。彼女は20歳になったばかりのお嬢さんを白血病で失くしている。それだけではない、彼女がまだ幼いとき、当時小学生だった兄も事故で失くしている。

 

傷が癒えたころ、彼女は言った。

 

「なんでうちの家族なの?」

 

何で病気になったり、事故に遭ったりするのがうちの家族じゃなきゃいけなかったの?という意味だったのだろう。

 

私はその質問に答えることはなかったが、答えの出ないものが運命なんだろうな。

 

運命とやらがあらかじめ決められたものかどうかは分からないが、私は大波か中波か小波かぐらいは決まっているんだと思う。その波があらかじめいつ来るのかも。但し、波の間は自由に泳げるんだろうね。勝手な偏った個人的見解である。

 

私たちがもう一度この世に生まれてくるとき、神様とやらに「可もなく不可もない人生と、波乱万丈の人生はどっちにする?」と聞かれたら、私は「可もなく不可もない人にする!」と答えるような気がする。

 

私の今回の人生はもしかしたらホントにそう答えてこの世に降り立ったのかもしれないな。そうじゃなきゃこんなに平凡なはずがない!

 

それでも小波と小波の間は自由なのだから、思い切り遊んで楽しめばいいんじゃないか?そう考えると、小波の人生もそう悪くない!

 

ふとそんなことを考えてみた。